公道を走れるレーシングカー、メルセデス・ベンツ・300SL。「伝説の名車」と呼ばれるクルマの華麗なヒストリー

ベンツ300SL

世界最高峰の安全性と高品質なクルマ作りで世界をリードし続けるブランド、メルセデス・ベンツ。日本においては特にCクラスやSクラス、Gクラスの印象が強く、「スーパーカーラボ」に登場するような、「スーパーカーを作る会社」というイメージは薄いかもしれませんが、メルセデス・ベンツにもかつて世界最速の市販車を作っていた時期がありました。

発表当時、世界の度肝を抜いたスーパースポーツカー、300SL。現在でも1億円を超える価格で取引されるほど、高い人気を誇るクルマです。まだフェラーリが数百台単位でしかクルマを量産していなかった時代に、300SLは高価な価格にも関わらず、クーペだけで1,400台を売り上げる大ヒットモデルとなりました。今回は、そんな300SLの魅力を改めて紹介したいと思います!

参考:メルセデス・ベンツ・300SL買取専門ページ!

レースを席巻した300SLプロトタイプ

ベンツ300SLプロトタイプ

メルセデス・AMG・F1チームがF1で盤石な強さを誇るこの時代、メルセデス・ベンツの持つスポーツスピリットについて改めて説明する必要はないでしょう。モータースポーツ活動を自粛していた時期が何度かあるものの、メルセデス・ベンツは第二次世界大戦以前から積極的にモータースポーツに参加し、好成績をおさめていました。1931年のミッレ・ミリアで優勝したメルセデス・ベンツ・SSKLなどは、その希少性とレーシングヒストリーから「伝説の名車」と言われています。
第二次世界大戦でモータースポーツ活動が一旦途絶えたものの、メルセデス・ベンツは1951年からレース部門を再始動させます。翌年1952年にスポーツカーレースへ復帰することを目標とし、新たなレーシングカーの開発が始まりました。

開発期間を短縮するため、エンジンや足回りは既存の300(W186)や、その発展系である300S(W188)から流用。シャシーとボディは新たに設計し直され、コクピット横の太いサイドシルを構造的に残したまま乗り降りするために、ガルウイングドアが採用されました。社内コードW194、名称を「300SL」とされた最初のクルマは、市販車ではなく、メルセデス・ベンツのワークスマシンとして誕生したのです。

俗に「300SLプロトタイプ」と呼ばれるこのクルマは、優れた車体バランスでデビュー後すぐに世界中のレースシーンを席巻。1952年の戦績は特に凄まじく、5月上旬のミッレ・ミリアではいきなり2位と4位に入り、早くもその性能の片鱗を発揮。ル・マン24時間レースでは300SLとしてはデビューの年ながら、より大きな排気量クラスのクルマを抑えて、総合で1位、2位を獲得。ドイツ勢としては初のル・マン総合優勝、平均速度155,575 km/hの大会新記録、メルセデス・ベンツとしてももちろん初めての総合優勝と、多くの記録を残した大会となりました。

1952年末にメキシコで行われたカレラ・パナメリカーナでも、フロントガラスに鳥が衝突するというアクシデントを乗り越え、見事総合優勝を飾ります。当時のカレラ・パナメリカーナは、フェラーリやポルシェが専用開発車両を持ち込むほど重要なレースと捉えられており、大方の予想を覆してのアメリカ大陸でのレース制覇は、メルセデス・ベンツ、そして300SLの名声を飛躍的に高めました。

公道を走れるレーシングカー

ベンツ300SL

先述の通り、300SLはレース専用車であり、市販の予定はもちろんありませんでした。しかし、300SLのレースシーンでの活躍に心打たれた一人の男が、300SLの市販化のために動きます。彼の名はマックス・ホフマン。アメリカでメルセデス・ベンツの輸入車業を営んでいた彼は、アメリカ市場においての高級スポーツカー需要を確信し、1,000台もの確定注文を持ってダイムラー・ベンツを説得。長い検討の末、市販化を決定したダイムラー・ベンツは、1954年のニューヨーク国際オートショーでついに公道版「300SL」をデビューさせます。

社内コードW198となった「300SL」は、もとになった「300SLプロトタイプ」、すなわちワークスマシンであるW194の特徴を多く残し、まさに「公道を走れるレーシングマシン」を体現した、当時世界最速の市販車でした。

2,996ccの水冷直列6気筒SOHCエンジンは、300SLプロトタイプでは170ps前後を発揮していたところを、市販化に伴う車重増に対応してさらに出力を向上させ、215ps/5,800rpm、28kgm/4,600rpmを発揮。ボッシュ製の機械式燃料噴射装置を採用し、直接シリンダー内に燃料を高圧噴射する「市販車初のガソリン筒内直接噴射エンジン」となったこのユニットには、4速マニュアルミッションを組み合わせられました。

フロントに置かれるこのエンジンは、ボンネットと重心の高さを抑えるため50度傾けて搭載され、プロペラシャフトを用いて後輪を駆動しました。サスペンションの形式はフロントがダブルウィッシュボーン、リアにスイングアクスルを採用。ブレーキは全輪ドラムブレーキとなっています。

シャシーは非常に細い鋼管で緻密に組まれた、鳥かごのような形状のチューブラーフレームとなっており、フレーム単体の重量は82kgと非常に軽く仕上がりました。一方で生産性はとても低く、見るからにレーシングカー然としたこのフレームの生産を決めたのは英断と言えるでしょう。強度を確保するために運転席横のサイドシルは非常に太く、それに伴って採用された象徴的なガルウイングドアは、市販車版の「300SL」にもそのまま採用されています。

インテリアは特別豪華ではなく、スポーツカーらしく質実剛健にまとめられていました。シートはファブリックとレザーが選択でき、ステアリングホイールは乗り降りを簡単にするために、前倒れ機構を採用しています。車内にエアコンはなく、また通風口や窓は非常に小さいために、真夏のドライブはかなり大変だとか…。

全長4,520mm、全幅1,790mm、全高1,300mmのサイズに対し、車重は1,295kg。最高速度はギア比の選択によって異なり、235〜260km/hとなっていました。これだけの速度で走れる市販車は1954年当時存在せず、美しく流麗なスタイルを併せ持つ300SLは、まさに超弩級のスーパーカーだったのです。

また、非常に高額な価格設定、そして生産に手間のかかる車体構造だったにも関わらず、販売面でも大成功をおさめました。300SLのクーペモデルは1954年から1957年の間に1,400台を生産して販売を終了。以降はロードスターモデルに移行し、こちらも1963年までに1,858台を販売する大ヒットモデルとなるのです。

快適性が向上した300SLロードスター

ベンツ300SLロードスター

300SLロードスターは、ガルウイングドアの乗降性の低さに対する不満に応え、フレームを新たに再設計。サイドシルを低く抑え、ドアの形状も通常のタイプに改めました。またこれによって窓も開閉できるようになり、屋根が解放できるということもあり、快適性は飛躍的に向上されました。

また、サスペンションにも手が入れられ、よりハンドリングが向上。1961年には、当時最新式のディスクブレーキも採用されるなど、細かい改良が加えられています。一方で300SLのクーペモデルは、その歴史の中ではっきりとした改良が加えられることなく最後まで生産されたことも特徴の一つと言えるでしょう。

伝説の始まり

300SLのクラシックカー
今日、300SLのクラシックカーとしての人気は非常に高く、1億円や2億円の価格が付くことも珍しくありません。また、メルセデス・ベンツ自身、300SLをアイコニックな存在として捉えていることもあり、見合ったコストこそかかるものの、今でも純正部品を入手可能です。また、車両についてのアーカイブ資料が大量に残っているという点も特徴で、高価なクラシックカーの中ではいわゆるミステリー要素の少ない、非常に「透明性の高い」クルマとも言えるでしょう。

SLのネーミングについては、長年「Sport Leicht(スポーツ・ライト)」か「Super Leicht(超軽量)」、どちらが正しいかが議論され、メルセデス・ベンツ自身も公式の見解を持たずに併用していましたが、300SLに関しては2017年に偶然社内で書類が発見され、「Super Leicht(超軽量)」が正しいことがわかりました。

現代のSLは「超軽量」とは言えなくなってしまいましたが、SLの伝説的な初代モデル、300SLの残した功績は、今後も長く語り継がれていくことでしょう。

[ライター/守屋健]